京都を訪れたら、寺社仏閣を観光するだけではなく、実際にそこで行われている「お勤め」に参加してみるのもおすすめです。
今回、私が訪れたのは京都・西本願寺。
早朝、西本願寺で行われる晨朝勤行(じんじょうごんぎょう)に参加してきました。

まだ京都の街が静かな時間。
荘厳な堂内に入り、たくさんの方々とともにお経を聞き、念仏を称える。
普段の観光とは全く違う京都の朝でした。
まさに、私が動画の中で表現した
「異世界で体験した、荘厳な朝のひととき」
という言葉がぴったりでした。
今回は、この晨朝勤行をきっかけに、私自身も改めて興味を持った日本の仏教と浄土真宗の歴史について、できるだけ分かりやすくまとめてみたいと思います。
■ そもそも「仏教」はどこから始まったのか?
仏教の始まりは、約2500年前のインド。
釈迦(お釈迦さま)が、人間が生きる中で経験する苦しみや迷いから、どうすれば解放されるのかを説いたことから始まります。
仏教はその後、インドから中国、朝鮮半島を経て日本へ伝わりました。
日本では、奈良時代には国家と深く結びついた仏教が発展し、平安時代になると、最澄による天台宗、空海による真言宗など、さまざまな仏教の教えが広がっていきます。
そして平安時代末期から鎌倉時代になると、これまでの仏教とは違った形で、一般の人々にも分かりやすい教えを説く僧侶たちが登場します。
その代表が、
法然、親鸞、日蓮
などの人物です。
ここから日本仏教は大きく広がっていきます。

■ 法然が広めた「念仏」
法然上人は1133年に生まれ、現在の浄土宗につながる教えを広めた人物です。
当時の仏教では、厳しい修行や学問を重ねることが重要とされていました。
しかし法然は、
「誰もが仏の救いにあずかることができる道はないのか」
と考え、阿弥陀仏を信じて「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることを重視しました。
法然の教えは「専修念仏」と呼ばれ、念仏を中心とする浄土教を大きく発展させました。
浄土宗では、阿弥陀仏の極楽浄土への往生を願い、念仏を称えることを重要な行とします。
そして、ここから非常に重要な人物が登場します。
それが、
親鸞聖人です。

■ 法然の弟子だった親鸞
親鸞聖人は1173年生まれ。
9歳で出家し、比叡山で長く修行を続けました。
しかし29歳のとき比叡山を下り、法然上人のもとへ向かいます。
そして、法然から阿弥陀仏の本願念仏の教えを学びました。
つまり、
法然と親鸞は別々の宗教を最初から作った師弟ではありません。
親鸞は法然の教えを受け継ぎながら、さらに深く「念仏とは何なのか」「人間が救われるとはどういうことなのか」を考えていったのです。
ここが浄土宗と浄土真宗を理解する上で、とても大切なポイントです。

■ 法然と親鸞は何が違うの?
簡単に言えば、
法然
「念仏を称えること」を中心に、阿弥陀仏の救いを説いた
親鸞
「自分の力で救いを得るのではなく、阿弥陀如来の本願力に任せる」という他力の信心を徹底した
という違いがあります。
ただし、これは「法然は自力、親鸞は他力」という単純な話ではありません。
法然自身も阿弥陀仏の本願を信じ、念仏による救いを説いていました。
親鸞はその法然の教えをさらに深く受け止め、「他力とは他人任せではなく、阿弥陀如来の本願力である」と明確にしました。
そして浄土真宗では、念仏さえも「自分の力で功徳を積むための行為」と考えるのではなく、阿弥陀如来のはたらきに出遇ったことを喜び、称える感謝の念仏として捉えます。
これが親鸞の教えの非常に大きな特徴です。

■ では「南無阿弥陀仏」とは何なのか?
「南無阿弥陀仏」という言葉を聞くと、
「お願い事をする言葉」
と思う方もいるかもしれません。
しかし、浄土真宗では少し違います。
阿弥陀如来の「必ず救う」という本願に出遇い、そのはたらきをいただいて生きる。
その中から自然に出てくる言葉が念仏なのです。
つまり、
「南無阿弥陀仏を唱えたから、自分の力で救われる」
という単純な意味ではありません。
むしろ、
「阿弥陀さま、ありがとうございます」
という感謝の念仏として味わうことができます。

■ そして生まれた「浄土真宗」
親鸞は、法然の教えを受け継ぎながら、阿弥陀如来の本願力による「他力念仏」の教えを体系的に深めていきました。
親鸞自身は新しい宗派を作ろうという意識で活動していたわけではありませんでしたが、後世には親鸞を宗祖とする浄土真宗として大きく発展していきます。
現在の西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山です。
■ なぜ西本願寺と東本願寺に分かれたのか?
京都には、
西本願寺
と
東本願寺
があります。
「同じ本願寺なのに、なぜ2つあるの?」
と思ったことがある方も多いのではないでしょうか。
実は、もともとは一つの「本願寺」でした。
大きな転機となったのが戦国時代から江戸時代初期です。
本願寺第11代の顕如上人の後継をめぐり、長男の教如上人と、弟の准如上人をめぐる問題が起こります。
その後、豊臣秀吉の時代に准如上人が本願寺を継承。
これが現在の西本願寺につながります。
一方、教如上人はその後も活動を続け、1602年、徳川家康から京都・烏丸六条付近の土地を与えられ、新しい本願寺を創立しました。
これが現在の東本願寺(真宗大谷派)につながります。
つまり、
西本願寺と東本願寺は、もともとは一つの本願寺だった。
それが、戦国時代から江戸時代初期の歴史の中で東西に分かれたのです。
ただし、東西に分かれたからといって、親鸞の教えそのものが全く別物になったわけではありません。
現在も両本願寺は、親鸞聖人が伝えた本願念仏の教えを大切に受け継いでいます。
■ では「日蓮」は何が違うのか?
同じ鎌倉時代に活躍した僧侶に、
日蓮聖人
がいます。
法然・親鸞と日蓮は、同じ時代に生きた人物ですが、重視した教えは大きく異なります。
日蓮が特に重視したのは、
『法華経』
です。
そして、その教えを象徴するのが、
「南無妙法蓮華経」
というお題目です。
日蓮宗では、法華経を最も重要な経典とし、「南無妙法蓮華経」と唱えることを大切にしています。
一方、浄土真宗では、
「南無阿弥陀仏」
です。
非常に簡単に整理すると、
浄土真宗 → 阿弥陀如来の本願 → 南無阿弥陀仏
日蓮宗 → 法華経 → 南無妙法蓮華経
という違いがあります。
ただし、両者とも「仏教」という大きな流れの中にあり、人々が仏の教えに出遇い、より良く生きることを目指しているという点では共通しています。

■ 「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」
この二つの言葉は、日本人なら一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
どちらも「南無」という言葉から始まります。
「南無」はサンスクリット語に由来し、対象に対する敬意や帰依を表す言葉です。
しかし、その後に続くものが違います。
南無阿弥陀仏
なのか、
南無妙法蓮華経
なのか。
そこには、それぞれの宗派が大切にしてきた仏教理解の違いがあります。
■ そして、今回体験した西本願寺の晨朝勤行
そんな長い歴史を知った上で、実際に西本願寺の晨朝勤行に参加すると、見えるものが少し変わってきます。
ただ「朝からお経を唱えている」のではありません。
そこには、
お釈迦さまから始まり、
インドから中国へ、
そして日本へ。
法然から親鸞へ。
親鸞から門徒へ。
そして800年近い時を超えて、現在の私たちへ。
そんな長い歴史の流れがあります。
西本願寺の朝の堂内に響くお経や念仏を聞きながら、
「800年以上前の人々も、同じようにこの教えを聞いていたのだろうか」
そんなことを考えてしまいました。
静かな朝の京都。
観光客で賑わう昼間とは全く違う、西本願寺の姿を見ることができました。

■ 京都旅行で「お寺に行く」なら、ぜひ朝の時間も
京都には数え切れないほどの寺社があります。
金閣寺、清水寺、伏見稲荷、嵐山……。
もちろん、そうした有名観光地を巡るのも京都旅行の大きな楽しみです。
しかし今回、西本願寺の晨朝勤行を体験して感じたのは、
「お寺は見るだけではなく、実際にそこで行われているものを体験すると、また違った世界が見える」
ということでした。
歴史を知ってから訪れる。
そして、実際にその場所で手を合わせる。
そうすると、建物の美しさだけではなく、その場所に何百年、何千年と積み重なってきた人々の思いや祈りまで感じられるような気がします。
今回の西本願寺は、私にとってそんな特別な京都の朝になりました。
「京都の朝が、こんなに凄いとは思わなかった。」
そして、
「まるで異世界への扉が開いたような感覚。」
そんな体験でした。
西本願寺の晨朝勤行。
京都を訪れる機会があれば、ぜひ一度、早起きして体験してみてはいかがでしょうか。
📍今回訪れた場所
西本願寺(浄土真宗本願寺派)
京都府京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町
西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で、親鸞聖人を宗祖としています。
やっ旅 × 異世界シリーズ
今回は、そんな西本願寺の「知られざる朝」を旅してきました。

浄土真宗本願寺派・西本願寺公式サイト
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